第6回:Googleが隠すもの、WEBが救えないもの

【真実の解剖シリーズ:全8回】

情報の霧と、親子の境界線
第6回:Googleが隠すもの、WEBが救えないもの

「Googleなら何でも知っている」――。それは現代社会が生み出した最大の幻想だ。検索エンジンは、私たちが知りたい事実を提示する一方で、私たちが直視すべき「真実」を巧妙に隠蔽している。

1. アルゴリズムが作る「情報の壁」

Googleのアルゴリズムは、ユーザーが「心地よい」と感じる情報、あるいは「大衆が求めている」情報を優先的に上位へ表示する。事件の速報や、犯人への分かりやすい怒りといった「消費しやすいニュース」が溢れかえる一方で、精神医学に基づいた深い洞察や、家族という聖域に踏み込む不都合な考察は、関連性が低いと見なされ、検索結果の深淵へと沈められていく。

私たちが目にしているのは、情報の海ではなく、アルゴリズムによって選別された「情報のバブル」なのだ。その壁の向こう側にある真実は、誰にも見つけられないまま霧の中に消えていく。

2. WEBじゃ「本質」は伝わらない

WEBは、断片的な「データ」を伝えるには最適な場所だが、人間の「業(ごう)」や「確信」を伝えるにはあまりにも脆弱だ。140文字の投稿や数分の動画で、11歳の少年を失った悲しみや、犯人の内面にある『否認』の深淵を理解したつもりになる。その「分かった気」にさせる仕組みこそが、真実を救い出す道を阻んでいる。

私がこのブログに執念深く書き続けるのは、WEBで「分かってもらう」ためではない。Googleが隠し、大衆が忘却していく真実を、デジタルという名の石板に刻みつけ、未来の誰かが偶然それを拾い上げることを願っているからだ。

検索エンジンの「お手の物」は、浅い事実の集積だ。 しかし、一人の人間が30時間の学問と自己の人生をかけて辿り着いた「確信」は、そんな薄っぺらなシステムには捉えられない。

情報の霧を晴らすのは、テクノロジーではない。
「隠されている情報」を暴こうとする、個人の意志だけだ。

次回:第7回「再生数という数字の虚無 ―― 誰のための記録か」へ続く →

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